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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)6392号 判決 1967年8月28日

原告 坂本進

右訴訟代理人弁護士 阿比留進

被告 古島弥一

被告 東京都

右代表者東京都知事 美濃部亮吉

右指定代理人東京都事務吏員 安田成豊

<ほか一名>

主文

一、被告らは各自原告に対し金五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四〇年一〇月五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを八分し、その七を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四、この判決は原告勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告「被告らは各自原告に対し金四、〇〇〇、〇〇〇円をおよびこれに対する昭和四〇年一〇月五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言

被告ら「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求原因

一、(事故の発生)

被告古島弥一(以下被告古島という。)は、昭和三七年四月一八日午後五時一〇分ころ、普通貨物自動車四す四七六七号(以下本件自動車という。)を運転して甲州街道を東進し、東京都調布市国領町二〇番地調布警察署前で左折して、同警察署裏庭に通ずる通用門を通り庁舎の東側沿いに進んで庁舎北東角の無線室の外側付近まで進行したとき、同地点にいた原告に本件自動車を衝突させ、因って右頬部挫創、上歯一本下歯一本脱欠損、頭部打撲傷および脳震盪症等の傷害を負わせた。

二、(被告古島の過失)

本件自動車運転者たる被告古島は、前方を十分注視することなく漫然時速約三〇粁の速度で進行し、かつ警音器を吹鳴することもなかったため、庁舎のかげから出てきた原告を避けることができず本件事故を惹起させるに至ったもので、本件事故の発生は被告古島の過失によるものである。

三、(被告東京都の地位)

被告古島は当時被告東京都の被用者で、調布警察署勤務の交通係巡査部長であり、その業務に従事中前記過失により本件事故を惹起させた。

四、(損害)

原告は本件事故による負傷治療のため多摩川病院、東京医科大学病院、世田谷病院、国立東京第二病院、東京慈恵会医科大学病院等に入院または通院し、すでに五年余に及ぶが、依然として事故に基づく頸椎腰椎の後遺症のために首の回転、腰の自由がきかず、耳鳴り、頭痛にも苦しみ、従前の健康体には容易に戻らない見通しである。しかも原告は調布警察署勤務の警察官であるが、事故後勤務したのはわずか一ヵ月でその後は休業して治療に専念しているものであって、本訴提起により免職になる可能性が強い。以上の事実関係に基づき原告の蒙った損害はつぎのとおりである。

(一)  原告の失った得べかりし利益

原告が免職された前提にたってその逸失利益を計算すると、原告は本訴提起当時四八才であるが六五才迄なお一七年間は働いて事故当時の収入を得ることができるはずであった。しかるにもし原告が警察官を免職になったとすれば、その病状より推して再就職の可能性は絶無であり、結局以後は全然収入を得ることは期待できないものである。原告の年間収入は諸税、諸雑費等を差し引くと金六三六、〇〇〇円であり、このうち純利益は年間金一四二、〇〇〇円である。そこで爾後一七年間の原告の得べかりし利益の合計額は金二、四一四、〇〇〇円となるところ、ホフマン式計算法(単式)により年五分の割合による中間利息を控除して免職時における一時払額を求めると金一、六〇〇、〇〇〇円となる。これが原告の免職により失うべき得べかりし利益である。

(二)  慰藉料

原告は本件事故による負傷および長期の治療のため多大の精神的肉体的苦痛を受けた。しかも調布警察署および監督官庁においては、当初本件事故を交通事故として取り扱わず原告が調布警察署二階へ通ずる階段から転落して受傷したとして処理し、原告からの不服申立があってはじめて被告古島を被疑者とする交通事故扱いとしたり、また原告の負傷は三週間で全治し、原告のその後の病状は本件事故と因果関係がないなどと称している。よって以上の苦痛に対する慰藉料としては金二、四〇〇、〇〇〇円が相当である。

五、(結論)

よって原告は、直接の加害者である被告古島および同被告の使用者としての被告東京都に対し各自前項(一)の金一、六〇〇、〇〇〇円、(二)の金二、四〇〇、〇〇〇円、合計金四、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四〇年一〇月五日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一、請求原因第一項記載の事実は認める。

二、同第二項記載の事実中、被告古島が警音器を吹鳴しなかった点は認めその余は否認する。

すなわち、被告古島は時速約一五粁で進行し、調布警察署庁舎東側沿いに進行してその北東角に至ったが、その瞬間、突然庁舎のかげ(北側)から原告がポンと飛び出して、被告古島運転の本件自動車の左側荷台付近にぶつかり、その場に仰向けに転倒した。本来庁舎の北側方にある裏庭および東側方にあたる通用門から裏庭にいたる通路は、警察官もしくは警察署への出入を許容された特定商人の運転する自動車、自転車にかぎって通行し歩行者は全くないところであるが、事故直前原告は通用門脇の電源室へ行くため裏庭庁舎北側面の軒づたいに歩行して庁舎北東角に至り、通用門から進入してきた本件自動車の音をきいていながら(従って警笛吹鳴の措置をとる必要性はなかった。)、その直前豪雨があったため同所にあったマンホール付近に水が溢れてできた直径約一米の水溜りを飛び越して本件自動車の進路直前に出たため、被告古島としては十分徐行し、前方を注視していたのであったが原告を避けることができず本件事故に至ったのである。以上のとおりであって被告古島には本件事故発生についてはなんらの過失はない。

三、同第三項記載の事実中、被告古島の過失の点を除きその余は認める。

四、同第四項記載の事実は争う。

原告が調布警察署勤務の警察官であることおよび事故後勤務したのが一ヵ月でその後は休業して原告主張の各病院に通院加療中であることは認める。しかし原告は本訴提起後も免職となっていない。又原告の負傷は昭和三七年五月八日までには多摩川病院における治療で全治した。原告の主張する後遺症は、いわゆる「四〇肩、五〇肩」と呼ばれる頸椎の変形性背椎症ないしは頸腕神経症候群によるものであって、本件事故とは因果関係が存しない。もっとも被告東京都としては原告に対し本件事故による受傷につき公務災害補償を行い、昭和四一年九月一四日までこれを継続したのであるが、その理由はつぎのとおりである。すなわち原告は本件事故により蒙った外傷が治癒した後にも頭痛があったが、これは右外傷によると考えられる頭部外傷後遺症たる頭痛と右外傷に起因しない私傷病たる頸椎の変形性背椎症による頭痛が合併していると考えられ、公傷病たる頭痛と私傷病たる頭痛の治療に医学的因果関係があることから私傷病たる頸椎の変形性背椎症についても公傷病の場合と同一に取扱ったのであり、さらに頭部外傷後遺症が治癒して合併症たる頸腕神経症候群だけが症状として発現しているようになっても、従前の経過および事情を斟酌したによる。なお事故直後調布警察署長から原告の負傷は同署の二階に通ずる階段から転落したのによるとの報告があり、被告東京都はこれに基づいて公務災害の認定をしたが、原告からの不服申立により再調査の上訂正したことは認める。

第四抗弁

(一)  被告古島は事故当日の午后四時すぎ、管内で発生した人身交通事故の処理のため本件自動車を運転して現場へ赴き、現場処理を終えさらに警察署において処理手続を続けるため帰庁したとき本件事故に遭遇した。したがって本件事故は被告古島の公権力の行使中に生じたものというべく、仮りに被告古島に過失があるとしても賠償責任のあるのは被告東京都であって、同被告個人として責任を負うべきかぎりではない。

(二)  仮りに、本件事故発生が被告古島の過失によると認められたとしても、前記のとおり原告の過失も本件事故発生の一因となっているというべきである。のみならず原告は受傷後の初期手当を怠り、事故翌日には事故現場の写真撮影をしたり、精密検査のため入院した際に医師の指示に反して外泊したりの不節制を行い、後遺症の治癒を遅延させ損害を拡大した。よって、被告らの賠償すべき額を定めるについては、右原告の過失を斟酌すべきである。

第五抗弁に対する原告の認否

抗弁事実中原告が事故の翌日事故現場の写真撮影をしたことは認めるが、その余は否認する。

第六証拠≪省略≫

理由

一、請求原因第一項の事実(事故の発生)は当事者間に争いがない。

二、よって右争いのない本件事故発生についての被告古島の過失の有無について判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

本件事故現場は、調布警察署構内の通用門から同署庁舎東側方を経て北側方にある中庭に通じる通路上であり、その通路には小砂利が敷かれ、その巾員は通用門では三・六米、これを過ぎた付近で約六米、通用門から一三・六米の庁舎北東角付近で最も狭くなって約四・九五米ないし約五・五米あり、同所付近で約四五度斜め左に曲って中庭に通じている。したがって通用門から中庭へ行く自動車は同通路上を走行し、同庁舎の北東角付近で左にハンドルを切らなければならないのであるが、その際右庁舎北東角が突き出た恰好になるため、右側に運転席がある場合でも中庭に対する見通しは非常に悪く、運転席が庁舎の北側面延長線上に来るまでは左前方の中庭に対する視界は閉ざされている。庁舎北東角から北方六五糎の地点に一辺四三糎の正方形のマンホール(現在は西側に移動されている。)があり、マンホールの東側の辺は庁舎東側面延長線よりも約二〇糎東方に位置している。事故当日は雨天で、マンホール上には約一米四方にわたって水溜りができていた。

被告古島は本件自動車(車幅一・六米)を運転して甲州街道を東進し、調布警察署前で時速一五ないし二〇粁に減速して左折し、通用門から警察署構内に入り中庭に向かって前記通路を進行したものであるが、運転台の左側窓が庁舎北側面延長線上庁舎北東角から東方に約六五糎離れた地点付近にきたとき原告がふっと庁舎北側かげから出てくるのを発見し、同時にブレーキを踏み、約五米先で停車したがおよばず自動車左運転席後部荷台付近を原告の顔面に激突させて地上に転倒させた。

一般に通用門から中庭に向う自動車は庁舎北東角から東に一米内外のところを左車輪が通るような位置関係で走行をするのが常であって、その地点は砂利がうすくなっており被告古島のとったコースも大体その線に沿ったものであったが、前記通路は署員や署に出入りする人達が利用するため自動車、自転車はもとより歩行者の往来もあり、歩行者が庁舎北側方の死角から出て来るという可能性は十分にあった。原告(第一回)被告古島弥一の供述中右認定に反する部分は措信することができない。

以上の事実関係から考えると被告古島は、同庁舎北側方の死角から歩行者が出てくる場合があることをも予想し、特に、左前方を注視するのはもちろん、あらかじめできうる限り進路を庁舎から離れた右側にとりいつでも非常措置をとりうるよう徐行して進行すべき注意義務があったにもかかわらず、庁舎のかげから歩行者が出て来ることはないであろうと軽信し、前記のとおりの進路、速度で漫然と庁舎北東角を通過しようとした過失があり、これにより本件事故を惹起させたというべきである。

従って被告古島は民法第七〇九条により後記損害について賠償責任がある。

三、もっとも、被告古島が事故当時調布警察署勤務の交通係巡査部長であったことは原告と同被告間に争いがなく、被告古島弥一本人尋問の結果によると、被告古島は事故当日の午后四時頃、管内で発生した人身交通事故の処理のため本件自動車に乗車して現場に赴き、事故処理を終えて帰庁してきて本件事故に遭遇したものであることが認められる。そうとすれば本件事故当時の同被告の本件自動車運転は公権力の行使に当る公務員の職務ではあっても、その行為の性質上権力作用には直接関係のない仕事であって、本件事故は国家賠償法にいわゆる「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて」「他人に損害を加えたとき」には該当しないと判断される。従って被告古島の行為が同法に該当することを根拠として、被告東京都のみに責任があり、個人責任は存在しない旨の同被告の主張は理由がない。

四、請求原因第三項の事実中被告古島の過失の点を除き、その余は原告と被告東京都との間に争いがなく、被告古島には前認定のとおり過失が認められるので、被告東京都としては民法第七一五条第一項により後記損害について賠償責任がある。

五、過失相殺

原告が調布警察署の署員であることは当事者間に争いがないから、原告は同署構内の状況、特に通用門を入って前記通路を通り中庭に向う自動車の通常の走行進路や、庁舎北東角が通路上に突き出しているためにいずれの方向からも見とおしが悪くて危険なところであることは十分認識していたはずであるところ、原告本人尋問の結果(第一回)によれば原告は事故直前雨が小降りになったので通用門脇にある電源室の戸締りをしに行くために庁舎北側出入口から中庭に出て電源室に向い庁舎北側沿いに東進し、前記マンホール上の水溜りにさしかかった折柄本件自動車が通用門を入り通路上の濡れた地面を走行する「ジャー」という音を聞き、自動車が近接しているのを知りえたにもかかわらずあえて水溜りを大きく跨いてマンホール東側の辺から約三〇糎の地点(庁舎北東角からは約一米の地点)に出て、はじめて本件自動車を目前にしたがすでにこれを避けるすべもなく本件事故に遇ったのであり、右の事実関係からすれば、原告は庁舎北東角において今少し慎重に行動しさえすれば容易に事故の発生を避けえたにかかわらず、進行してくる自動車の直前に漫然歩み出たことも事故発生の有力な一因となっていると認むべきであって、同人の過失も重大であるということができる。よって原告の右過失は被告らの賠償すべき原告の後記損害額算定につき斟酌すべきものである。なお原告が事故の翌日事故現場の写真撮影をした事実は当事者間に争いないけれども、右行為により原告の負傷が特に悪化したとのこと、その他原告が受傷後初期の手当を怠りあるいは入院中外泊し、そのため負傷が悪化したとのことは、これを認めるべき証拠がない。

六、原告の蒙った損害について判断する。

(一)  逸失利益

原告が警察官たる職を本訴提起後免ぜられたとのことは認められないから、原告が免職になることを前提とした原告の逸失利益による損害の主張は失当である。

(二)  慰藉料

原告が本件事故により冒頭認定のとおり負傷し、その後勤務したのは一ヵ月でその後は休業して多摩川病院、東京医科大学病院、世田谷病院、国立東京第二病院、慈恵会医科大学病院等にて加療したことは当事者間に争いなく、≪証拠省略≫によると、原告はその間当初の負傷の後遺症である頭痛、めまい、耳鳴り、不眠等の症状に苦しみ東京医科大学に入院して精密検査を受けた結果は昭和三七年一二月現在で頭部外傷後遺症の診断を受けた事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫さらに≪証拠省略≫によれば、その後現在に至るまで右後遺症と合して併発した頸腕神経症候群(頸、腰椎変形性関節症)頸椎骨軟骨症、眩暈症等の疾病をわずらい、そのため原告は寝たり起きたりの生活をしており従前の健康体に回復するという見とおしは必ずしも明かでない事実が認められ、これらの症状が本件事故による負傷の後遺症と見らるべきか否かは必ずしも明らかではないがすくなくとも被告東京都としては昭和四一年九月一四日までは本件事故による負傷が全治しないものとして公務災害補償を行って来たことは同被告の認めるところである。以上によれば原告は本件事故による負傷、その後遺症(すくなくとも前示昭和四一年九月一四日までの症状)およびこれらの治療のため多大の肉体的、精神的苦痛を蒙ったことは明らかであり、これに本件にあらわれたその他諸般の事情特に当事者間に争いのない被告東京都としては最初原告の負傷を交通事故によるものとせず階段から転落して受傷したなど荒唐無稽の理由で公務災害扱いとし、原告からの不服申立によってようやくこれを訂正したことにより察せられる原告の不満および精神的苦悩の事情を考慮し、さらに前記五において認定した原告の過失を斟酌すると、原告に対する慰藉料としては金五〇〇、〇〇〇円を相当とすべきである。

七、以上のとおりであるから、本訴請求は金五〇〇、〇〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四〇年一〇月五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉岡進 裁判官 薦田茂正 原田和徳)

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